スキップしてメイン コンテンツに移動

生け花とフラワーアレンジメントと言葉

こちらのフラワーアレンジメントと日本の生け花と違うのは、生け花は空間に動きをつけ、時間の流れを表現する為に、非対称な形で生けるのに対し、フラワーアレンジメントでは、3次元のどこからみても統一した形になるように生けるところにあります。生け花では、何もない空間に余韻を持たせるのと違って、フラワーアレンジメントは、なるべく空間をなくしてぎっしり埋めるのが良いようです。

 

部屋のインテリアも同じで、日本風のインテリアはミニマリズムで、和室にはなるべく物を置いたり飾ったりしないようにしますが、こちらは、壁には沢山絵を飾ります。日本でアパートやマンションを借りると、壁に釘一本打てないところもありますが、こちらは引越しすると、まず壁に絵や写真を沢山かけて飾るために、ドリルで穴をあけるところから始めます。なので、私のように引っ越しが多いジプシー生活では、ドリルは必須アイテムです。アパートやマンションを明け渡す時は、あいた穴を漆喰で埋めて、壁をペンキで塗りなおせば良いので、心配はいりません。


こちらの人は、壁に何も飾ってなかったり、部屋に何もない空間があったりすると、不安になるようです。普段の会話でも同じで、二人以上人がいて、沈黙が訪れるのが怖いようです。だから、しゃべりまくります。沈黙に何かを読み取ったり感じ取ったり出来るのは、日本人だけかもしれません。男女間で、目で語り合ったり、女の伏せた眼差しや男の沈黙に、何かメッセージを読み取ったりするということも、あまりないようです。なので、しゃべって自分の感情を語らないと、大きな誤解を招くこともあり、注意が必要です。 


遅刻した時や仕事でミスした時など、こちらの人は言い訳を沢山並べるという印象を、日本人は受けます。そして日本人はそれを「言い訳」ととらえ、ラテン系の人は言い訳がうまい、と考えるのですが、彼らは言い訳というより、沈黙が怖くて、ありとあらゆる事実をしゃべりまくっているだけと考えた方が良いでしょう。日本人の上司に対してそれをやると、言い訳を聞く方の日本人は、苦虫を噛み潰した顔で黙ってそれを聞きくだけですが、そうするとその沈黙に耐えられず、何かしゃべらなければマズイと思う彼らは、ますます言い訳を膨らませます。思いつく限りの事実を述べまくり、事実を膨らませるために、事実にはならなかった想像ごとも付け加えます。しゃべっているうちに自分でも収拾がつかなくなり、心の内で「頼むから誰か止めてくれ」と思っているようですらあります。だから、その言葉の洪水の中で見つかる矛盾を冷静に指摘すると、「そうです、貴方のおっしゃる通りです、ごめんなさい」とむしろホッとした顔で言われて、だったら最初から謝れよ、と思うことが、しばしばです。

ただこれは白人系の人に多く、インディオ系は、外見同様日本人と少し似ているところがあって、沈黙を徳とするようなところもあります。


仕事をこちらの人に教える時、日本人は、「そんなことまでいちいち教えなくても」と思いがちですが、一から十まで事細かく説明しないと、なかなか理解してもらえません。また、言わなくてもわかってもらえると思うのも大きな間違いです。征服者と被征服民族、移民、異文化、異言語が混ざった社会を築いてきた歴史があるので、面倒くさがらないで話をきいたり説明することは、誤解を避けるために重要ですね。


ブログランキング・にほんブログ村へ

コメント

このブログの人気の投稿

メキシコ産クラフトビール

わりと最近まで世界のあちこちで、地元の手作りのクラフトビールがはやっていたように思いますが、メキシコもそれにもれません。メキシコのクラフトビール協会によると、 2010 年には 10 社しかなかったクラフトビール醸造所は 2017 年には大小合わせて 230 社と、約 16 倍にもなっています。メキシコは基本的に暑くて乾燥した気候なので、メキシコ産ビールは美味しそうなイメージもあって、輸出もされているようです。   私は酒豪に思われることがあるのですが、実はお酒は苦手です。笑い上戸や泣き上戸になったり、自分がしゃべったりやったことを翌日には忘れてしまうくらい酔っ払ってしまう前に、気持ちが悪くなって倒れてしまうことがあるので、怖くて飲めません。 これまでに 3 回、 1 回は大阪の電車の駅で、 1 回はエクアドルのイタリア料理レストランの出口で、 1 回はチリのシーフードレストランのテーブルで、気を失ってぶっ倒れてしまいました。飲むといつも倒れるわけではないのですが、自分よりも周りの人がびっくりしてしまうので、外ではほんの少しだけか、水かジュースしか飲まないようにしています。ほんの少し、というのは、ワインをグラスに 3 分の1程度、ビールもコップ一杯飲むか飲まないかです。 美味しい料理やチーズなどと一緒だとワインが美味しく、小洒落たレストランなどではワインと一緒でなければ味気がないとさえ思えることもあるのですが、そういうところへはワインが飲める人と行って、少しだけ分けてもらってチビチビ楽しみます。   南米のワイン産地はアルゼンチンとチリですが、本当に色々な種類があって、ボトルのデザインも素敵なものがあります。思わず持ち帰りたくなるようなデザインのラベルもあって、ワインボトルかラベルのコレクションをしたいと思ったこともあるのですが、自分一人では 180ml のミニボトルでさえ全部飲めずに、半分飲んで半分料理に使っているくらいなので、とても 1 本買えません。 が、昨年スーパーのレジのところにあったクラフトビール特集の雑誌を見て「これだ!」と思いました。ビールだったら、小瓶を買ってコレクションできるかもしれないと考えたからです。クラフトビールのラベルも醸造所のこだわりでオリジナルなものが多いので、ちょっと色々試しつつ集めてみ...

夜明けの不思議

「夜明け前」 のところで書きましたが、今勤めている会社は朝 7 時始まりなので、 5 時に目覚ましをかけて、 6 時のまだ暗いうちに家を出ます。 私はスマホを目覚まし時計代わりにしているので、枕元のナイトテーブルにおいているのですが、アラームをとめてまずチェックするのが、お天気アプリです。自分が今住んでいる街と、これまでに住んだ日本、スペイン、エクアドル、チリ、コロンビアの街の天気と気温が表示されるようにしているのですが、今寒いかどうかが一番気になるからです。今日の場合だと、私が住んでいる街の最高気温は 27 ℃、最低気温は 4 ℃となっていて、一番気温が低くなるのはまさに、私が起きて会社に行く時間です。気温が低い時は、冷えたバスルームにいきなり出て風邪をひかないように、ベッドからでてすぐガウンを羽織る必要があります。   このお天気アプリは、日の出の時間と日没時間も表示されるのですが、最近は日の出の時間が 7 時になっています。が、 6 時過ぎに家を出る時はまだ暗くて月も輝いて見えますが、会社に着く 6 時半ごろに近づくとだんだん夜が明けてくる感じです。こんな道を走っているのですが、前方が明るくなり始めています。 6 時 45 分くらいになるともう明るくなっている感じなのですが、この「日の出の時間」というのは、何をもって決めているんだろうと、ふと疑問に思いました。 地平線が見えるところでない限り、太陽はたいてい山や丘陵の向こうから出てくるのですが、完全に太陽の姿が見えるようになる時間が、日の出時間とみなされるのでしょうか。でもその前から太陽の光で明るくなってくるので、私の中では日の出はもう少し早い時間です。   冬の夜明けと言えば、夜明けよりもっと早い暗い時間に、列車の物悲しい汽笛の音が聞こえることがあります。気温が低くなると遠くの音が聞こえやすくなるかららしいのですが、線路はかなり離れたところのはずなのに聞こえることがあって、これを聞くとああ冬だなと思います。   一番上の写真は、コロンビアのビーチに行って朝早く起きて撮った朝陽です。やっぱり朝は、こんなトロピカルな朝がいいなぁ。

マスクをはずせと言われたら

コロナ禍でマスクを着用するようになって、もうかれこれ 8 ヵ月になります。 4 月だけ自宅勤務でしたが、 5 月からは毎日出勤して、会社にいる時は一日中マスクを着用してもう半年。こんなに長期間・長時間マスクをしているのは初めてで、こうなるともう、マスクをしないと何となく心もとない感じです。家にいる時はしていませんが、外出する時にマスクをつけないと、何だか恥ずかしい気さえするので、下着と殆ど同じ感覚になってきました。 会社では、裏が白くて表が水色の使い捨てのマスクを支給しています。私は最初、水色の方が裏だと思っていたのですが、水色が表なのですね。もしかしたらどうでも良いのかもしれませんが、メキシコ人社員と話をしていて、「でも白い方を表にしている人見たし」と言ったら、「それって裏返して二日使ってるんじゃない?」と言った女性がいたので、「パンツみたいに?」と言って大爆笑されました。   そんな毎日ですが、最近会社で、市民保護局に提出する労働安全衛生プログラムの作成をコンサルタントに頼んでいて、何度か来てもらっています。プログラムへの添付用に、設置してある消火器の写真を撮ったり、避難訓練をしているところの写真を撮ったりする中、社内安全委員会の打ち合わせをしているところの写真を撮りたいと言ってきました。なので適当にメンバーを会議室に集めて、座っているところの写真を撮ってもらったのですが、そのコンサルタント(中年男性)が、マスクをとれと言います。 え、でも今まだコロナだし、むしろマスクを着用している写真の方がいいのではないかと反論したところ、いいからはずせと言います。安全委員会には私の他にもう一人女性( 20 代)がいて、マスクのゴムの片方だけはずして、マスクがもう片方の耳からぶらさがる状態にしたら、全部はずせと言います。私はそれを聞いて、ちょっと不快感があったのですが、その若い女性も同じように感じたようです。まるで下着をとれと言われたような感覚です。 ずっと以前から知っている同僚なら全然かまわないのですが、私の目の部分しか知らない人に顔全体を見せることに、なんだか抵抗を感じるようになってしまっているのですね。そう感じるのは多分私だけではないと思うので、いずれ、マスクをはずすことを強要するのはセクハラと扱われるのではとか思ったりしていますが、変ですか? 尚メ...