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9月, 2020の投稿を表示しています

カオスの会議

  昨日こんな夕陽を見ながら帰宅したら、トランプ大統領とバイデン前副大統領の初回のテレビ討論会をやっていました。多分ほとんどの国で注目されたのかと思いますが、史上初のカオス状態だったと、日本でも中南米でも報道されています。 最近米国では米国民全体が、あちこちでデモが起こったりカオス状態になっているようなので、それを反映しているのではないでしょうか。   全部は見ていませんが、トランプ大統領 vs バイデン前副大統領の 討論会では、お互いに相手の言葉をさえぎって、ひどい場合は二人が同時にしゃべっている場面 が何度も ありましたが、これはこちらでは日常茶飯事です。人の話をさえぎる、というのは日本では失礼にあたりますが、こちらではそうでもしないとなかなか人の話の輪に入れません。会社の会議でも、人の話を聞かずに皆が一斉にしゃべる場面が出てくるのは普通で、慣れない日本人は会議が白熱していると感じるようですが、必ずしもそうではありません。 テレビの討論番組でもこうした場面がよく見られますが、テレビであれば皆が一斉にしゃべりだしても、カメラマンが誰かにカメラを向けると自然とその人だけがしゃべるように落ち着きますし、視覚的に何が起こっているのか理解できます。が、車を運転しながらよく聞くラジオ番組でこれをやられると、もう何が何だかわかりません。   海外で初めて勤めたスペインの会社では、社内通訳をしていたのですが、会議でスペイン人が一斉にしゃべりだす場面がしょっちゅうありました。誰が言っていることを会議に参加している日本人に訳せば良いのかわからず、必然的に私が、「ちょっとすみません、順番にしゃべってくれませんか。はい、あなたから。」と、会議の進行役まで務める羽目になっていました。   こちらの人は、なぜ人の話を最後まで聞かないのでしょうか。 私はこちらの人に日本語を少し教えるとき、まず最初に、日本語は動詞(結論)が最後にきて、しかも否定文なのか肯定文かを判定する、英語の NO にあたる単語も一番最後にくるから、人の話は最後まで聞かないと意味がわからなくなるわよ、と言っておきます。そもそも文法構成が違うのですね。 英語もスペイン語も、動詞は文の最初の方に来ますから、都度結論を先に言って、説明部分を最後にもってきます。日本語の場合は、先に説明が来て後に

帰りに一杯

通勤路の線路わきの、低所得層が住む界隈に、こんな露店があります。果物を売る傍らで、ポテトチップスのようなスナックや飲み物や、ガスボンベもあるのでちょっとした小料理なども出していて、近所の工場の仕事帰りの労働者が立ち寄っています。中南米のどの国にもあるような風景ではないでしょうか。日本だったら、仕事帰りにちょっと一杯、といったところでしょうが、私は立ち寄ったことがないので分かりませんが、アルコール飲料ではないようです。そもそもこちらでは、残業の文化はなく、また仕事が終われば真っ直ぐ家に帰るのが普通です。   スペインに住んでいた時にスペイン人に、なぜ残業という文化がないのか聞いてみたら、カトリック教では、「労働」=「悪いことをした罰」という考えがあるので、あくせく働くのは罪滅ぼし的なイメージがあるからだ、とのことでした。また中世のヨーロッパでは、労働をしない王族がいて貴族がいて、使用人や農民、漁民、職人の労働で生活が支えられて優雅に生活していました。そうした貴族に反発してフランス革命が起こったわけですが、だからといって皆平等で国民服を着るような共産主義をめざしたのではなく、平民も貴族のように優雅に暮らしたいという思いが、今でもあるのではないでしょうか。あくせく時間外まで働くのは、昔の平民みたいで嫌、優雅じゃない、という考え方が、ヨーロッパや中南米の西欧系移民の人にはあるような気がします。   一方日本は、フランス革命が起こったころ江戸時代で、士農工商という考え方でした。一番過酷な労働の農民が敬われていて、昭和生まれの私は子供のころ母や祖母から「お百姓さんは偉いのよ」と教わっていたので、何世紀も前の概念が一般市民にしみついていても不思議ではありません。労働は美徳です。   中南米では、米国のようにダウンタウンに住んでいた黒人がいきなり金持ちになって、ビバリーヒルズの豪邸に住むようになるといったアメリカンドリームはありえません。お金がお金を生む経済構造になっているので、お金持ちは代々お金持ちで、低所得層はずっと低所得層のままです。純インディオ系や黒人系は、そもそも米国のように企業の中で昇進できない社会構造でもあり、殆どがいわゆる単純作業の労働者です。このレベルの労働者は残業すると残業代が出るため、残業は厭いません。むしろ物入りのクリスマス前になると

お金がない方がハッピー?

中南米は貧富の差がとても大きく、こちらの富裕層は日本の富裕層よりもずっと裕福な暮らしで、貧困層は日本の貧困層よりもずっと貧しい生活をしています。そして、富裕層の住む地区と貧困層の住む地区、また最近厚くなってきている中流階級の住む地区は、どの国でもはっきり分かれています。貧困層が住む地区は、米国の NY のハーレムとかブロンクスみたいな感じでしょうか。そして、ブラジルのファベーラのように、そういう地区は犯罪組織が隠れていて危険でもあるのですが、コロナなどは衛生状態も悪いそうした地区で多く発生しているので、自然隔離が出来ているような感じです。そもそも世界中どこでも、お金持ちの有名人で、コロナで亡くなった人の話はあまり聞かないので、やはりコロナと貧富の差は、少し関係があるのではないでしょうか。   ただ貧困層といっても、アフリカと違って自然が豊かな為、熱帯の田舎にいけばバナナがそこら中にあって、海で糸を垂らせば魚が釣れて、基本的に「飢え」はないように思えます。政府反対デモがあると、低所得層の人たちが「我々は飢えているんだ!」と空鍋を叩きながら叫び歩く集団がありますが、太っちょの人ばかりです。脂っこいものなど不健康な食品の方が安いので、そうなってしまうのもありますが、ガリガリに痩せた人はあまり見ません。ちなみにこういう集団は、野党勢力から日給をもらってデモする場合が多いです。   いずれにしても、金持ちが幸せとは限りません。 当地では、低所得層の人たちは、家族や友人たちと毎日ゲラゲラ大笑いで楽しそうにしていますが、お金持ちの人たちが、そんなに心底楽しそうに笑っているのを見たことがありません。口だけ笑って、周囲を気にした目をしていたり、お金持ちの奥様たちも何故か皆いつも不満気な顔をしていて、お金持ちのお子様たちも、田舎や下町の子供達のように、暗くなるまで楽しそうに泥だらけになってサッカーなどしないで、部屋に閉じこもってゲームとかしています。 お金持ちの旦那さんも、出来の悪い従業員にイライラしてストレスがたまっていますし、旦那さんは奥さんが、奥さんは旦那さんが、浮気をしているんじゃないかと疑心暗鬼の毎日か、浮気がばれないかヒヤヒヤの毎日です。それに、お金があればあるほど、家に強盗が入らないか、車が盗まれないか、いつも心配する必要があります。 高級住宅

コーヒーが好き

  コーヒーが好きです。 昔から、紅茶よりもコーヒーを飲む方が多かったものの特に好きというわけではなかったのですが、コーヒーの産地のコロンビアに住んでから、コーヒーが好き、と断言できるようになりました。 それまでは、コーヒーが一番美味しいのは日本だと思っていました。世界中の美味しい豆を使って、じっくり丁寧に入れたこだわり喫茶店のコーヒーは、香りが全然違って、こちらと比べて一杯の値段がものすごく高くて当然と思っていました。特に、南米からの長いフライトで出てくる、茶色いお湯みたいな、味も香りもないコーヒーを飲んだ後に日本に着いて飲むコーヒーは、格別でした。   今でも日本のコーヒーは美味しいと思っていますが、私の中では高級品の位置づけです。日本に住んでいた時も、普段飲みは日本茶で、コーヒーはちょっと気合を入れて飲んでいたような気がします。 コロンビアに住み始めた当初、街なかで飲むコーヒーは期待していたほど美味しいとは思えず、やっぱり良質の豆は輸出に回して、国内に出回っているのは残り物なのかしらと思っていたのですが、住んでいるうちにだんだん好きになってきました。 コロンビアに何年か住んで日本に一時帰国した時に、酸味が気になってそれで気が付いたのですが、コロンビアのコーヒーは酸味がないのですね。日本で人気のキリマンジャロコーヒーとかブルーマウンテンとかは、酸味が強いアラビカ種ですが、コロンビアコーヒーは、苦みのロブスタ種です。 なんて偉そうに書いていますが、さっき調べた付け焼刃で、そんなこと全然知らずにただ単に美味しいと思って飲んでいましたが、私には、酸味よりも苦みの方が合うのですね、きっと。ちなみにワインも、カルベネとかメルロとかマルベックとかありますが、違いは全然分かっていません。お酒はあまり飲まないので、ワインはレストランで、美味しい料理と一緒にグラスにちょっとだけ入れてもらってチビチビ飲むだけで、選ぶのは人任せですが、料理が美味しければどんなワインも美味しく感じます。   エクアドルやコロンビアや今住んでいるメキシコでは、豆を挽いた粉を買って、上の写真のエスプレッソメーカーで濃いめに入れて、そのままだと苦すぎるので温めた牛乳と半々くらいで、砂糖を小さじ半分くらい入れて飲むのが好きです。よくブラックで飲む人もいますが、ブラックよりも

タイムカプセル

夕方近所の公園に犬の散歩に行くと、ジョギングする人、ウォーキングする人 、犬の散歩をする人、子供と散歩する人などがちらほらいます。 4 月に、ロックダウンとまではいきませんが外出自粛規制が出てからは、皆マスクをしていましたが、コロナが最近落ち着いてきたので、今週くらいからもうマスクをした人は殆ど見かけないようになりました。それで私も昨日の金曜の夕方の散歩では、マスクをはずして外に出ることにして、マスクしないんだったら口紅くらいしなくちゃと、ず~っと使ってなかった口紅を探しました。   女性のバックには、実に色々なものが入っています。私の大きな通勤バックには、お財布やカード類、家の鍵と車のキー、パソコンの他に、マウスや携帯の充電器、ケーブル、 USB 、銀行のトークンを入れたポーチと、口紅などを入れたポーチと二つ入れて持ち歩いています。この口紅などを入れたポーチは、 4 月に自宅勤務を始めた時から全く使わず、開かずのポーチになっていて、昨日約半年ぶりに開けたのですが、何だかタイムカプセルを開けたような感じにとらわれました。中に入っていたものが、上の写真です。   口紅の他に、コストコで買った、自分で香水をブレンドできる 10 本セットのうちの 2 本、化粧品を買った時にもらった香水の小さなサンプル、頭痛用のアスピリン、髪をとめるピン、目薬、鏡がついた携帯ヘアブラシです。口紅以外は、使うこともあるかもしれないからと念の為持ち歩いていたものですが、自宅勤務は 1 ヵ月だけでその後は会社に行っていたものの、結局 5 ヵ月は全然使っていなかったので、やはり不要なものを持ち歩いているのでしょうか。目薬は一度使ったら早めに使い切らないといけないようなので、これはもう使えませんね。   他に不要なものを持ち歩いていないかバックの中を調べたら、携帯用の消毒ジェル、名刺ケース、ボールペン、ティッシュ、眼が急に痛くなってもしやコロナと思って行った眼医者の名刺、インテリアショップのディスカウントカード(期限切れ)なんかも入っていました。ボールペンは、海外に行くときに飛行機の中で入国票を書く時に要るので、昔からの習慣で持ち歩いていますが、普段は殆ど使いません。ムーミンママのバックになってしまわないように、時々整理しないといけませんね。   ところで口紅を入れていた

信号、タクシー、鍵束、お札

今年の年末年始は 4 年ぶりに日本に帰省しようと思っていたのですが、ヨーロッパでコロナ感染が再拡大している中、帰れるのかどうか怪しくなってきました。やはり来年に持ち越しでしょうか。。。 今日は、いつも日本に帰省した時に、海外に長く住んでしまったことを実感する場面を、ご紹介します。   信号 日本に帰った時、赤信号でも、左右をよくみて車が来る可能性がなかったら、渡ってしまう癖がついてしまいました。当地の人が日本に行った時に、真夜中で車が全然通っていないのに、赤信号で律儀に待っている日本人を見て不思議に思ったと聞きましたが、私もそんなふうになってしまったようです。ただ逆に、赤信号でも車が来なければ渡るのに加えて、信号が青でも、左右を良く見てから渡る自分にも気がつきます。こちらでは信号が青でも、車が走ってくることがあって、信用できないので。   タクシー 日本に帰ってタクシーに乗る時、自動ドアなのに手で開けてしまって、恥ずかしい思いをします。自動ドアのタクシーなんて、こちらでは見たことがありません。それから、タクシーに乗り込んですぐに、つい「こんにちわ」とか「おはようございます」とか「こんばんわ」とか、行き先を告げる前に言いそうになります。こちらではタクシーに限らず、お店でも銀行でも、まずこうした挨拶をしてから応対が始まるので、言わないと何か物足りません。日本では、「すみません」がこれに当たるのでしょうか。「すみません」は便利な言葉ですが、外国語に訳す時には、状況によって言葉を換える必要がありますね。   鍵束 日本に帰って実家などに泊まって外出する時、家の鍵が薄っぺらのキー一枚しかないのに驚いてしまいます。こちらでは、殆どのアパートやマンションには守衛さんがいるので、建物に入る鍵はいいりませんが、家に入るドアは最低でも二重ロックなので二つは鍵がいります。メキシコのように戸建てで庭がある家だと、庭を手入れする庭師さんなどが、家の中を通らずに庭に入る為の別の入り口の鍵なんかも要ります。スペインではよほど高級でないと建物にドアマン兼任の守衛さんはいないので、建物に入るための、コピー不可の大きくて重たい鍵が要ります。こちらでは皆、鍵をジャラジャラ持っていますね。   紙幣 最近は、現金決済は少なくなってきましたが、日本に帰って

生け花とフラワーアレンジメントと言葉

こちらのフラワーアレンジメントと日本の生け花と違うのは、生け花は空間に動きをつけ、時間の流れを表現する為に、非対称な形で生けるのに対し、フラワーアレンジメントでは、 3 次元のどこからみても統一した形になるように生けるところにあります。生け花では、何もない空間に余韻を持たせるのと違って、フラワーアレンジメントは、なるべく空間をなくしてぎっしり埋めるのが良いようです。   部屋のインテリアも同じで、日本風のインテリアはミニマリズムで、和室にはなるべく物を置いたり飾ったりしないようにしますが、こちらは、壁には沢山絵を飾ります。日本でアパートやマンションを借りると、壁に釘一本打てないところもありますが、こちらは引越しすると、まず壁に絵や写真を沢山かけて飾るために、ドリルで穴をあけるところから始めます。なので、私のように引っ越しが多いジプシー生活では、ドリルは必須アイテムです。アパートやマンションを明け渡す時は、あいた穴を漆喰で埋めて、壁をペンキで塗りなおせば良いので、心配はいりません。 こちらの人は、壁に何も飾ってなかったり、部屋に何もない空間があったりすると、不安になるようです。普段の会話でも同じで、二人以上人がいて、沈黙が訪れるのが怖いようです。だから、しゃべりまくります。沈黙に何かを読み取ったり感じ取ったり出来るのは、日本人だけかもしれません。男女間で、目で語り合ったり、女の伏せた眼差しや男の沈黙に、何かメッセージを読み取ったりするということも、あまりないようです。なので、しゃべって自分の感情を語らないと、大きな誤解を招くこともあり、注意が必要です。   遅刻した時や仕事でミスした時など、こちらの人は言い訳を沢山並べるという印象を、日本人は受けます。そして日本人はそれを「言い訳」ととらえ、ラテン系の人は言い訳がうまい、と考えるのですが、彼らは言い訳というより、沈黙が怖くて、ありとあらゆる事実をしゃべりまくっているだけと考えた方が良いでしょう。日本人の上司に対してそれをやると、言い訳を聞く方の日本人は、苦虫を噛み潰した顔で黙ってそれを聞きくだけですが、そうするとその沈黙に耐えられず、何かしゃべらなければマズイと思う彼らは、ますます言い訳を膨らませます。思いつく限りの事実を述べまくり、事実を膨らませるために、事実にはならなかった想像ごとも付け加えます。し

晴れ時々雨

私が住んだエクアドルとコロンビアでは、四季がありませんでした。同じ国内でも色々な気候があって、海岸地方に行くと海洋の影響を受けるせいか、四季はなくても雨季と乾季が比較的はっきりしていますが、内陸部・山岳地帯の首都付近はそれもあまりはっきりせず、一年中、日中の平均温度は 18 度前後です。といっても一日の中に四季があり、朝晩は吐く息が白くなることもあるほど冷え込むかと思えば、日中は半袖でも汗ばむこともあります。日中に雹が降って、通りが、雪が降ったように真っ白になることもあります。   CNN などの天気予報をみると、高地のキトやボゴタなどいつみても気温 18 度晴れ時々雨、となっていて、真面目にアップデートしている気配が全く見られないのですが、変わりやすいのが山の気候です。晴れていても急に真っ黒な雲が湧き出して雨がザーッと降りだすと思ったら、 100 m先はまだ晴れていたりしますし、その雨も数時間以上降り続くことは滅多にありません。キト市などは盆地度が大きいせいか、いきなり霧が発生して、それも 100 mも進めばすっかり晴れていることもあります。だから CNN が、毎日毎日晴れ時々雨、と表記するのは、あながち間違っていません。   こんな天気なので、天気予報を見て今日の天気を気にする人も、殆どいません。学校の行事などでも、「雨天中止」とか「雨天延期」という概念は存在せず、行事は決まった日に必ず予定通り行われるから楽です。日本で昔、運動会や遠足の日の朝、雨が降るのか降らないのかどうもはっきりしない天気だと、学校に問い合わせの電話をしたり、通学の生徒が制服を着ているか体操服を着ているかを、外を見て確かめたりした記憶がありますが、こちらではそんな心配は無用です。朝に雨が降っていても、 2 時間もすればあがってあとは一日中晴れるのが普通ですし、朝良い天気でも、日中雨になることもあります。ここで降っていてもあっちでは晴れ、ということもあります。また、雨になっても止むのは早いので、その間雨宿りをすれば、予定していた行事はたいてい行うことが出来ます。   雨が降っても 100 m先は降っていなかったりするので、傘を持っていても、多少の雨だったら、皆、さしません。私はちょっとでも濡れるのが嫌な猫系なので、少しでも降れば傘をさすし、止めばたたむしなのですが、霧雨

カジノ

なぜカジノかというと、今勤めている自動車産業の会社で、自動車産業に特化した品質マネジメントシステムの国際規格である IATF の認証をとるための研修をしているのですが、今日「リスク管理」のセミナーでコンサルタントから、カジノを例にした、へぇ~、そうなの、という話を聞いたので、ちょっとシェアします。   ラスベガスでは、大量の現金が動くのですが、大量の札束を毎日銀行に持って行ったりするのに輸送するのは危険なので、連邦準備銀行に手持ちの現金の量を申告した上で、その日のうちに全部燃やすのだそうです。そして、連邦準備銀行がその分のお札をまた印刷するのだとか。ディズニーランドなども、最近はもうカード決済ですが、入場料が現金払いの時は一日に何百万ドルもの札束が動くので、リスク管理の一環として、当局に申告して燃やしていたとか。   へぇ~確かに、と思ったのですが、よくよく考えて、これって本当なのでしょうか?うちが契約している認証コンサルティング会社はちゃんとしたところで、コンサルタントも経験豊富なしっかりした人なのですが、失礼ながらメキシコ人です。本人も、偽りの情報をどこかから聞いて信じているだけなのかもしれないぞ、とかも思えて、本当なのかどうか気になってきました。   カジノは、以前エクアドルで何度か、人について入ったことがあります。一番分かりやすいルーレットをしたのですが、寡黙に玉を操るディーラーの黒人のお姉さんが、とてもかっこよかったのを覚えています。ただ一度だけ、ブラックジャックに参加しました。ブラックジャックのルールは単純なのだそうですが、初めてやったので殆ど理解しておらず、訳もわからないまま、というか面倒くさくて出したカードが、度胸もののカードだったらしく、後ろで観ていた人も含めて周りが「オーッ!!」とどよめいてディーラーが怯んだのも、覚えています。凄腕の東洋人女性と思われたかもしれませんが、それ以降やったことはなく、未だになぜあのカードが度胸ものだったのか、理解できていません。   カジノは、勝っている時が止め時だと言われていますが、それが出来るのは、保守的な女性だけのようです。上記のコンサルタントの話では、危機に陥っている会社の統計をとったら、経営者が女性の会社の方が、経営者が男性よりも、危機を乗り越えた確率が高かったようです。リス

ラテンの国の朝食

  遅めに起きた人の為に、今回はラテン系の国の朝食についてです。   食が豊かなスペイン人に言わせると、イギリス人は一日に3回朝食を摂っているのだとか。それ程イギリスの食事は質素だということを言いたいらしいのですが、逆に、イギリスの朝食は卵やベーコン、ソーセージ、豆などかなりたっぷりしています。 かくいうスペインの朝食はコンチネンタル式で、コーヒーとパンかビスケットだけですが、ただしこれはあくまで寝覚めの一食であり、その後 15 時頃の昼食までの間の朝 10 時頃に、軽食を摂ります。この軽食では、砂糖をたっぷりまぶしたチューロスや大きなクロワッサンをカフェオレに浸しながら食べたり、ジャガイモと玉ねぎたっぷりのオリーブ油で湿ったオムレツや、生ハムを挟んだパリパリのバゲットを食べたりして、日本人にとってはこれだけで夕方までもちそうな量です。ジャガイモのオムレツは朝食だけでなく、軽い夕食の定番でもあって、夜になるとあちこちの家から、生卵を皿でフォークで溶くカンカンカンカンという音が、聞こえます。   エクアドルの海岸地方では、料理用の青いバナナを、茹でて潰してボール状に丸めて、中にチーズのかけらを入れて揚げたものを、コーヒーと、パパイヤやマンゴー、パイナップルなど、新鮮なトロピカルフルーツと一緒に食べます。これに、産みたての新鮮な卵の目玉焼きなどがつくこともあって、これを食べると、ああ、今日も一日夕方までのんびり仕事をしよう、という気になります。 チリは、主食のパンがやたら不味く、クロワッサンのようなものはなくて、下の写真のような乾パンのようなパンばかりです。私が住んでいたチリの南部では、朝食にはこのパンにアボガドを潰してペースト状にしたものや、ジャムをつけて食べていました。これに、インスタントコーヒーとチーズがつく程度で、とにかく、昼までお腹が一杯になれば良いというだけの、味気ないものでした。チリは他の中南米諸国と違って、ドイツ系やイギリス系の移民が多いので、食にあまりこだわならい本国の影響を受けているようです。   コーヒーの国コロンビアでは、下の写真のような地方の農園風の宿に泊まると、早朝にメイドがチリンチリンと鈴を鳴らしながら部屋をまわり、ドアを開けると、淹れたてのコーヒーをカップに注いでくれます。寝覚めのコーヒーですね。これをベッドに

お散歩とサボテンの実

  今日はのんびり日曜なので、お散歩ブログです。   車通勤で、仕事でも殆ど歩くことがないので、家ではなるべく歩くようにしないと、何だか足がむくんだ感じになります。コロナ前は、休日は車で 5 分くらいのところにある貯水地まわりの広い公園に行って、 1 時間近く、貯水池をぐるっと一周歩くこともあったのですが、コロナでこの公園が閉まっているので、やむなく家から歩いて 3 分程の公園に、犬を連れて行くことが増えました。 ブーゲンビリアが一年中咲いているこんな道を歩きながら、公園にたどり着きます。   公園内では、こんな花が咲いています。 近くで見ると、こんな可愛らしい二色の花です。 そしてこの公園には、さすがメキシコだけあって、色々な種類のサボテンの木が無造作に生えています。 以前、 サボテンを食す 話を書きました。料理に使うのはサボテンの葉っぱですが、サボテンにはこんな実もついて、これも果物のように食べます。   これは、熟して地面に落ちて、鳥が食べたらしい、たサボテンの実です。 私は以前コロンビアで、生まれて初めて食べた果物にあたってお腹をこわして苦しい思いをしたことがあるので、生で食べる果物にはちょっと注意しており、このサボテンの実はスーパーでも売っていますが、食べる勇気がありません。 家の裏山にも巨大なサボテンの木があって、こんな風に実を沢山つけています。 ちょっと郊外にでるとそこらじゅうの道端にこんなのがあって、サボテンの実の食べごろになると市内では、信号待ちの車にサボテンの実を売る行商を見かけます。でもたぶんこういう道端や公園の実を採って売っているのだと思うので、ちょっと買って食べる気はしません。 ところで先週スーパーで、サボテンの実を売っている果物コーナーで、ドランゴンフルーツも売っていました。これも、何となく怖くて、食べたことがありません。