スキップしてメイン コンテンツに移動

瞑想は目を開けて

 これまで南米で住んでいた家は集合住宅だったのですが、住宅地にあっても、外を走る車の音や、隣人がドアを開けて外に出る音、子供が遊ぶ声などが聞こえて、シンとするのは夜中くらいでした。今住んでいるのは、メキシコによくある、入り口に守衛さんがいて遮断されている住宅地内の戸建なのですが、右隣は空き地、左隣はコロナ疎開中で不在、向かいは子供がいない夫婦、お向かいさんの左隣は空き地で、右隣は数ヵ月前に引っ越してから空き家、と言う感じで、昼間でもかなり静かです。特に休日は、こちらは日が昇るのが遅いので、皆昼の11時近くまで寝ていて、10時くらいまで、裏山の鳥の鳴き声しか聞こえない静かな朝を堪能できます。

 

土曜は買い物で早起きするので、日曜は8時過ぎまで寝ていて、9時ぐらいから庭に出て朝食をとります。朝食後は暑い夏はハンモックでウダウダするのですが、最近少し涼しくなってきたので、日なたにマットレスを置いて座って、瞑想もどきをするようになりました。

瞑想(メディテーション)には「サマタ瞑想」と「ヴィパッサナー瞑想」とあるらしく、また瞑想の一種であるマインドフルネスは、スティーブ・ジョブスやビル・ゲイツも実践しているようで、これを取り入れる大企業もあるそうです。そもそも「瞑想」って何?と思ってネットで調べると、こんな風に色々出てきて、メリットとか効用とかも様々な形で書かれていて、訳がわからなくなってくるのですが、私的には、心をくつろがせること、だと認識しています。現状私は別に、ストレスがすごくたまっているとか、悲しいことが続いているとか、不安があるとか、うつ状態ではないですが、ちょっと「ぼーっとする」ために、瞑想もどきをするわけです。

 

スペイン語では、ちょっとぼーっとして人の話を聞いていなかったりする時のことを、「月にいる」とか「雲の中にいる」という表現をすることがあります。なので、私なりの瞑想もどきは、ぼーっとすることで、月や雲に昇っていって、禅の考え方とも似てくるのかなぁ、などということもぼんやり考えたりしています。

 

瞑想は目を閉じて行うものだと思うかもしれませんが、禅宗の総本山の永平寺で修行僧が、木の壁を見つめながら座禅をしているドキュメンタリーを見ました。ちょっとやってみるとわかると思いますが、目を閉じると、集中どころか、耳に入る音に神経がいってしまったり、静寂なら静寂で色々な雑念が雲のようにわいてきます。集団でメディテーションなんかすると、周りの人や、後ろとか前にいるらしい先生が、気になって仕方ありません。禅寺では時間をかけて、そういう湧いてくる雑念を払っていくのが修行なのでしょうが、私の場合は目を閉じると色んなことが気になって、心を静めるどころかかなり苦痛です。

なので、私の瞑想もどきでは、目を開けて、目の前の草木をぼーっと眺めます。時々、空なんかも見上げます。もちろん雑念を払って無心の境地には至らず、色々とりとめなく考えたりもするのですが、くつろいだ状態にはなっていると思っています。

 

忙しくてキーっとなったときは、単調な仕事も効果があるようです。以前勤めていたエクアドルの会社で、現場の従業員がガソリンスタンドで使うチケットに、会社の有効なチケットとして使えるように、会社のスタンプを押してサインをする仕事がありました。3ヵ月に一度くらい、200枚以上のチケットにひたすらスタンプを押してサインするのですが、この仕事をすると妙に心が落ち着いて、好きな仕事のひとつでした。

 

本当にストレスがたまったり嫌なことがあって辛い時は、私は観葉植物や庭の草木の枯れた葉っぱをひとつずつ取り除いていったり、犬や猫を撫でたりすると、少し楽になります。


上の写真は、エクアドルに住んでいた時に行って見つけた、見事にだぁれももいないビーチで、撮ったものです。


ブログランキング・にほんブログ村へ

コメント

このブログの人気の投稿

食品の警告ラベルデビュー

メキシコでは今年 3 月 27 日に保健省の新しい規格が公布されて、パック詰め食品や非アルコール飲料に、「高カロリー」、「高塩分」、「高糖分」、「高飽和脂肪」、「高トランス脂肪酸」の場合は下のようなラベルの貼付が義務付けられています。貼付は 7 月 31 日から始まって、今年の 12 月以降は、貼付されていない該当製品には罰則措置が課されます。   先月くらいから確かに、このマークが貼られている商品を見かけるようになりましたが、今日行ったスーパーの棚では、更に増えていました。 10 月 31 日までは、既に製造されているものには貼らなくてもよいので、同じ商品でも当分は貼ってあるものと貼ってないものが混在することになりますが、今日見る限り、上の写真のような大企業ブランドの人気商品に多く貼られていました。やはりこうした企業は、自然素材よりも添加物を沢山使っているようです。このマークを見るとさすがにちょっと「そうか」と引いてしまうのは私だけではないようで、警告マークのついた人気商品のとなりの無名ブランドの棚の方が、減っていました。多分こうした無名ブランドは、あまり美味しくないのだと思いますが、健康には良いのでしょう。   私はお菓子やジュース類は以前から、自分にも息子にも殆ど買わないようにしているので、普段と同じものを買っても警告マーク付きの商品がカートに入ることはなかったのですが、ひとつだけ、いつも買っているトマトピューレに手を伸ばしたらこのマークが付いていて、買うのをやめてしまいました。チューブや瓶入りのトマトケチャップよりは健康そうな気がして買っていたのですが、騙されていたのですね。トマトソースを作るのに、いちいちトマトの皮をむいて切るのが面倒なので買っていたのですが、やはり自分で作らないとだめなのかと、生鮮食料品売り場に引き返して、トマトを追加しました。   この警告ラベル措置は、企業にとってはかなりやばいのかと思いますが、消費者にとっては良いことだと思います。そもそも、食べ物にしても飲み物にしても、パッケージされたものではなく、なるべく自然素材を使うようにしなければならないのだと思いますが、皆忙しくなったのに比例してこうしたパッケージ食品が増えてきたのですね。皆本当に、昔に比べて忙しくなったのかどうかは疑問でも...

帰りに一杯

通勤路の線路わきの、低所得層が住む界隈に、こんな露店があります。果物を売る傍らで、ポテトチップスのようなスナックや飲み物や、ガスボンベもあるのでちょっとした小料理なども出していて、近所の工場の仕事帰りの労働者が立ち寄っています。中南米のどの国にもあるような風景ではないでしょうか。日本だったら、仕事帰りにちょっと一杯、といったところでしょうが、私は立ち寄ったことがないので分かりませんが、アルコール飲料ではないようです。そもそもこちらでは、残業の文化はなく、また仕事が終われば真っ直ぐ家に帰るのが普通です。   スペインに住んでいた時にスペイン人に、なぜ残業という文化がないのか聞いてみたら、カトリック教では、「労働」=「悪いことをした罰」という考えがあるので、あくせく働くのは罪滅ぼし的なイメージがあるからだ、とのことでした。また中世のヨーロッパでは、労働をしない王族がいて貴族がいて、使用人や農民、漁民、職人の労働で生活が支えられて優雅に生活していました。そうした貴族に反発してフランス革命が起こったわけですが、だからといって皆平等で国民服を着るような共産主義をめざしたのではなく、平民も貴族のように優雅に暮らしたいという思いが、今でもあるのではないでしょうか。あくせく時間外まで働くのは、昔の平民みたいで嫌、優雅じゃない、という考え方が、ヨーロッパや中南米の西欧系移民の人にはあるような気がします。   一方日本は、フランス革命が起こったころ江戸時代で、士農工商という考え方でした。一番過酷な労働の農民が敬われていて、昭和生まれの私は子供のころ母や祖母から「お百姓さんは偉いのよ」と教わっていたので、何世紀も前の概念が一般市民にしみついていても不思議ではありません。労働は美徳です。   中南米では、米国のようにダウンタウンに住んでいた黒人がいきなり金持ちになって、ビバリーヒルズの豪邸に住むようになるといったアメリカンドリームはありえません。お金がお金を生む経済構造になっているので、お金持ちは代々お金持ちで、低所得層はずっと低所得層のままです。純インディオ系や黒人系は、そもそも米国のように企業の中で昇進できない社会構造でもあり、殆どがいわゆる単純作業の労働者です。このレベルの労働者は残業すると残業代が出るため、残業は厭いません。むしろ...

お手伝いさん考

東南アジアもそうだと思いますが、中南米でも、お手伝いさんを安く雇えます。なのでこちらでは、中所得層でも、お手伝いさんを使う家庭が多いです。高所得層だと、料理専門、掃除専門、子守専門、加えてアイロンがけ専門と、3人も4人も雇うところもあります。アルゼンチンの金持ちだと、男性の執事までおいているところもあるようです。以前コロンビアで、そういうところでベネズエラ人の金持ちの家庭で子守専門をしていたお手伝いさんを雇ったことがあって、彼女に、そういうところの主婦というか奥さんは一体何をするの?と聞いたら、何もしないで、化粧だけして一日ゴロゴロしていると言っていました。昔の貴族生活の名残っぽいですね。   スペインに住んでいた時に、そういう家庭で育ったらしい写真家志望のペルー人の女の子と、建築家志望のコロンビア人の女子留学生と、アパートをシェアしたことがあります。アパートの掃除の分担を決めて、皆で手分けして週一回掃除をすることにしていたのですが、コロンビア人の女の子と私が一生懸命掃除をする傍ら、ペルー人の女の子は何もしないでリビングのソファーにデンとすわり、私がソファー回りの床をモップで拭こうとしたら、足を挙げて拭かせてくれます。彼女にしたら、掃除など、普通の女性のする仕事ではないらしいのですね。さすがに頭に来たので注意をするのですが、掃除の仕方そのものを知らないらしく、嫌々やられても邪魔でしょうがないので、コロンビア人の女の子と一緒に、彼女がいない時に掃除をしました。勿論、彼女の寝室まではせず、自分の寝室と、リビングやバスルーム、キッチンなど共有の場だけです。   こちらの人は、中流家庭でも、他人(お手伝いさん)が家の中にいることに小さな頃から慣れているので、一家団欒の食事の場で、その他人が給仕をしたりするのは別に気にならないらしいのですが、日本人にとってはちょっと苦痛です。掃除などをしてくれるのは助かりますが、掃除をしてもらっている傍らでボーっとしているのも居心地が悪いですね。 それに、嫁と姑の問題と同じだと思いますが、家の中に家事をする者が二人いるのは、軋轢の元です。それぞれ自分なりのやり方があるので、それと違うやり方をされると、気になって仕方がありません。嫁と姑に限らず、定年後の男性で、奥さんに先立たれて自分で家事をするのに慣れた男...