コロナ前ですが、ドイツに住む日本人の友人が、クリスマス前の週末に知人と、オーストリアのザルツブルグへクリスマスマーケットを見に行って、ビールを飲んで美味しい料理を楽しんで来たという便りが来ました。もうそろそろ1年になるのですね。なんと優雅、というか、ヨーロッパ的というか、映画的というか、いいなぁと思ってしまったのですが、これは好みの問題かもしれません。こちらで、カリブの白い砂浜のビーチに行って、潮風にあたりながらパームの木陰で、冷たいビールととれたてのロブスターの焼いたのを食べた、というのを、羨ましいと思ってくれる人もいるかもしれません。
そういえば、こんなジョークを聞いたことがあります。
ある米国の金持ちのエグゼクティブが、休暇でカリブの島に行きます。浜辺に近いところで漁民が、小さなボートでのんびり魚を釣っているのを見て、なんでもうちょっとだけ一生懸命働いて、エンジン付きのボートを買わないんだと聞きます。エンジン付きのボートを買えば、もっと遠くの沖まで出て、もっと沢山の魚が釣れて、もっとお金も入って、テレビだって買えるし幸せになれるじゃないかと。するとその漁民はその金持ちに、でも貴方は休暇でもとらないとここに来れないけど、自分は毎日ここにいるから、貴方より幸せだと思うよと言ったとか。先日、お金がない方がハッピーという話を書きましたが、それと同じですね。
さて、ヨーロッパの街角を堪能するのは素敵でいいなぁと思いますが、いずれにしてもしょせん我々は、東洋人です。歴史の重いヨーロッパの街角で、ヨーロッパを堪能している背の低い東洋人は、京都のお寺で立ち止まって瞑想風のポーズをとっている、背の高い紅毛碧眼のガイジンさんのように見られるかもしれません。何となく違和感があります。
その点新大陸の中南米は、懐が深いと思います。白人だろうがアジア人だろうが黒人だろうがアラブ人だろうがインディオだろうが、その場の風景にあまり違和感なく馴染めるように思えます。しかも、人種のるつぼでありながら、人種ごとにきちんと住み分けが出来ている米国と違って、色々な人種の混血が進んで、何人種と分類出来ないような容貌の人種もいます。肌は白いのに髪が黒人のようにチリチリで、目が東洋人のように切れ長の人などです。特にブラジルがそんな感じです。またとくにカリブ地方だと、両親とも見た目は白人系なのに、2~3代前の血を引いて突然褐色の肌の子供が産まれても、不思議ではないようです。
他人種には理解出来ないと思える文化も、特にありません。そもそもここの文化は、様々なルーツが混ざり合って出来たようなもので、しかもまだ発展途上、もしくは熟成中という感じです。違う土壌に根を伸ばして成長中の樹木のようで、どんな花や実をこれからつけていくのか、楽しみでもあります。世の中は常に変化していくものですが、その変化の胎動が、中南米にあるかもしれませんね。
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