スキップしてメイン コンテンツに移動

自分の星を見つける

ブログを始めることにしたのは、もともと文章を書くことや、何かを人に伝えることが好きだからで、一応職にはありつけているので、アフィリエイトで稼ごうというつもりは全くありません。ごちゃごちゃ広告が入って汚されるのも、嫌ですし。コロンビアに住んでいた時に、とある日本の金融機関の駐在員の方が、コロンビア、エクアドル、ペルー、ベネズエラの社会経済情報をほぼ毎日発信されていて、それを社内で共有する為に、ブログのような自分なりのおまけ情報や面白い話をつけて、日本や他の国の関連部署の方々に転送していました。それがわりと好評だったので、同じようなことをメキシコからもやりたいなと思ったのが、そもそものきっかけです。

2年位前に、アクセス限定で公開しないでやってみたのですが、全然長続きしなかったので、今度は公開して続けてみようと思い、これまでほぼ毎日、昔使った記事も利用しながら続けて、約3ヵ月たちます。

目標としては、ほぼ毎日、1年は続けてみようと思っているのですが、アクセス数は殆ど増えていません。こういう日記ブログは、誰かが誰かに勧めてくれない限り拡散しないので、少なくとも最初はそんなものらしいですが。今までコメントも、お会いしたこともない人から頂いてとても嬉しかったのですが、コメントをもらったのは後にも先にもそれだけです。ちょっと寂しいですが、自己満足でやって自分の為にとっておけるものにすればいいかと思うことにしています。

 

考えていみたら私自身が、人のブログを読むことはあまりなく、最近はもっぱらYouTubeです。投稿が楽しみなお気に入りのものもいくつかあるのですが、そういうのは視聴回数が、ブログとは桁違いに多いのですね。それに沢山コメントもついていて、インタラクティブな感じです。やっぱり、ブログなんてもう古くて、今は動画の時代なのかなぁと思っているのですが、YouTubeへの投稿はちょっと私にはハードルが高いです。

 

Twitterはどうでしょうか。Twitterをやったら、Twitterで拡散してもらえるよと聞いて、今週初めにアカウントを作って何人かフォローしてみたのですが、どうも馴染めません。Twitterというと、「炎上」という言葉を思い浮かべてしまうのですが、そういうことが起こるだけあって、Twitterに投稿されているつぶやきは、どうも悪口や批判や愚痴などマイナス的なものが多いように思えます。たまたま最初にフォローしたものが、批判の応酬になっていて、「こんな人とは付き合っていられない、弁護士と相談する」と言えば、「どうぞご勝手に、そんなことしても私はまたコメントしに来ますからね」、みたいなやりとりを見て、お~こわ、と思ってしまいました。全部が全部そうではないのかと思いますが、他のをみても、やっぱり匿名さんの感情のはけ口になっているような感じで、違和感があります。

うちの息子はTwitterを使っていますが、これまでに住んだ国々の友達も含めたグループで、内輪の知ったもの同士のつぶやきで楽しそうにやっていて、知らない人のフォローは、トランプ大統領とかアーチストととか、有名な人だけだそうです。やっぱりそういう風に使うのが正なのかもしれません。

 

色々チャレンジするのは好きなので、今度は、こちらももう古いのかもしれませんが、インスタグラムも本格的にやってみようかなと思っています。写真も好きなので。昔アカウントを作って、家財道具の写真を撮って、中古家具として売りさばくのに使ったことがありますが、それから全く使っていません。

 

上の写真は、今住んでいる家の、息子の部屋の壁です。不動産屋さんと家探しをしていた時に、これがペイントしてあった部屋を見てすっかり気に入って、借りることにしました。星の王子様の、「星が輝いているのは、いつかみんなが、自分の星を見つけるためなんじゃないかな」という言葉が書いてあります。自分の星と言うのは、色々解釈があると思いますが、自分にとって居心地が良いところなのかもしれません。必ずしも住む家のことではなくて、今の私だったら発信場所をブログにするか、Twitterにするか、インスタグラムにするか、といったところでしょうか。気の合った仲間としょっちゅう会って色々話が出来るのであれば、こんなことしてる必要はないような気もしますが。

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

コメント

このブログの人気の投稿

メキシコ産クラフトビール

わりと最近まで世界のあちこちで、地元の手作りのクラフトビールがはやっていたように思いますが、メキシコもそれにもれません。メキシコのクラフトビール協会によると、 2010 年には 10 社しかなかったクラフトビール醸造所は 2017 年には大小合わせて 230 社と、約 16 倍にもなっています。メキシコは基本的に暑くて乾燥した気候なので、メキシコ産ビールは美味しそうなイメージもあって、輸出もされているようです。   私は酒豪に思われることがあるのですが、実はお酒は苦手です。笑い上戸や泣き上戸になったり、自分がしゃべったりやったことを翌日には忘れてしまうくらい酔っ払ってしまう前に、気持ちが悪くなって倒れてしまうことがあるので、怖くて飲めません。 これまでに 3 回、 1 回は大阪の電車の駅で、 1 回はエクアドルのイタリア料理レストランの出口で、 1 回はチリのシーフードレストランのテーブルで、気を失ってぶっ倒れてしまいました。飲むといつも倒れるわけではないのですが、自分よりも周りの人がびっくりしてしまうので、外ではほんの少しだけか、水かジュースしか飲まないようにしています。ほんの少し、というのは、ワインをグラスに 3 分の1程度、ビールもコップ一杯飲むか飲まないかです。 美味しい料理やチーズなどと一緒だとワインが美味しく、小洒落たレストランなどではワインと一緒でなければ味気がないとさえ思えることもあるのですが、そういうところへはワインが飲める人と行って、少しだけ分けてもらってチビチビ楽しみます。   南米のワイン産地はアルゼンチンとチリですが、本当に色々な種類があって、ボトルのデザインも素敵なものがあります。思わず持ち帰りたくなるようなデザインのラベルもあって、ワインボトルかラベルのコレクションをしたいと思ったこともあるのですが、自分一人では 180ml のミニボトルでさえ全部飲めずに、半分飲んで半分料理に使っているくらいなので、とても 1 本買えません。 が、昨年スーパーのレジのところにあったクラフトビール特集の雑誌を見て「これだ!」と思いました。ビールだったら、小瓶を買ってコレクションできるかもしれないと考えたからです。クラフトビールのラベルも醸造所のこだわりでオリジナルなものが多いので、ちょっと色々試しつつ集めてみ...

夜明けの不思議

「夜明け前」 のところで書きましたが、今勤めている会社は朝 7 時始まりなので、 5 時に目覚ましをかけて、 6 時のまだ暗いうちに家を出ます。 私はスマホを目覚まし時計代わりにしているので、枕元のナイトテーブルにおいているのですが、アラームをとめてまずチェックするのが、お天気アプリです。自分が今住んでいる街と、これまでに住んだ日本、スペイン、エクアドル、チリ、コロンビアの街の天気と気温が表示されるようにしているのですが、今寒いかどうかが一番気になるからです。今日の場合だと、私が住んでいる街の最高気温は 27 ℃、最低気温は 4 ℃となっていて、一番気温が低くなるのはまさに、私が起きて会社に行く時間です。気温が低い時は、冷えたバスルームにいきなり出て風邪をひかないように、ベッドからでてすぐガウンを羽織る必要があります。   このお天気アプリは、日の出の時間と日没時間も表示されるのですが、最近は日の出の時間が 7 時になっています。が、 6 時過ぎに家を出る時はまだ暗くて月も輝いて見えますが、会社に着く 6 時半ごろに近づくとだんだん夜が明けてくる感じです。こんな道を走っているのですが、前方が明るくなり始めています。 6 時 45 分くらいになるともう明るくなっている感じなのですが、この「日の出の時間」というのは、何をもって決めているんだろうと、ふと疑問に思いました。 地平線が見えるところでない限り、太陽はたいてい山や丘陵の向こうから出てくるのですが、完全に太陽の姿が見えるようになる時間が、日の出時間とみなされるのでしょうか。でもその前から太陽の光で明るくなってくるので、私の中では日の出はもう少し早い時間です。   冬の夜明けと言えば、夜明けよりもっと早い暗い時間に、列車の物悲しい汽笛の音が聞こえることがあります。気温が低くなると遠くの音が聞こえやすくなるかららしいのですが、線路はかなり離れたところのはずなのに聞こえることがあって、これを聞くとああ冬だなと思います。   一番上の写真は、コロンビアのビーチに行って朝早く起きて撮った朝陽です。やっぱり朝は、こんなトロピカルな朝がいいなぁ。

マスクをはずせと言われたら

コロナ禍でマスクを着用するようになって、もうかれこれ 8 ヵ月になります。 4 月だけ自宅勤務でしたが、 5 月からは毎日出勤して、会社にいる時は一日中マスクを着用してもう半年。こんなに長期間・長時間マスクをしているのは初めてで、こうなるともう、マスクをしないと何となく心もとない感じです。家にいる時はしていませんが、外出する時にマスクをつけないと、何だか恥ずかしい気さえするので、下着と殆ど同じ感覚になってきました。 会社では、裏が白くて表が水色の使い捨てのマスクを支給しています。私は最初、水色の方が裏だと思っていたのですが、水色が表なのですね。もしかしたらどうでも良いのかもしれませんが、メキシコ人社員と話をしていて、「でも白い方を表にしている人見たし」と言ったら、「それって裏返して二日使ってるんじゃない?」と言った女性がいたので、「パンツみたいに?」と言って大爆笑されました。   そんな毎日ですが、最近会社で、市民保護局に提出する労働安全衛生プログラムの作成をコンサルタントに頼んでいて、何度か来てもらっています。プログラムへの添付用に、設置してある消火器の写真を撮ったり、避難訓練をしているところの写真を撮ったりする中、社内安全委員会の打ち合わせをしているところの写真を撮りたいと言ってきました。なので適当にメンバーを会議室に集めて、座っているところの写真を撮ってもらったのですが、そのコンサルタント(中年男性)が、マスクをとれと言います。 え、でも今まだコロナだし、むしろマスクを着用している写真の方がいいのではないかと反論したところ、いいからはずせと言います。安全委員会には私の他にもう一人女性( 20 代)がいて、マスクのゴムの片方だけはずして、マスクがもう片方の耳からぶらさがる状態にしたら、全部はずせと言います。私はそれを聞いて、ちょっと不快感があったのですが、その若い女性も同じように感じたようです。まるで下着をとれと言われたような感覚です。 ずっと以前から知っている同僚なら全然かまわないのですが、私の目の部分しか知らない人に顔全体を見せることに、なんだか抵抗を感じるようになってしまっているのですね。そう感じるのは多分私だけではないと思うので、いずれ、マスクをはずすことを強要するのはセクハラと扱われるのではとか思ったりしていますが、変ですか? 尚メ...